人生とはすばらしい場所か?
三日坊主は嫌なので、書く意思はあるぞ!と会の当日深夜に帰宅後いずれかの電子機器にメモを残したはずなのだが・・・痕跡がない。おそらく旧ipadのメモあたりに記述していると思うのだが、それは先月ipad2をゲットしてから、子どもにおろしてしまって手元にない・・・と書き始めたのが、そもそも3カ月以上前・・・ということで、さらにあいまいな記憶をたどった、いまさらの議事録になるので、正確さの「せ」の字もない。(参加のみなさま申し訳ない)
第15回 E会の議事録 2011年5月20日 実施要項
Awesome(すばらしい)
とても素晴らしいスピーチ・・・ウイットに富み、友人や家族への愛も語られている・・・人生の送り方、ちいさな素晴らしいことの発見から得られる価値を素敵な語り口で語っている・・・TEDのサイトでも公開されているので、一度ご覧になって下さい。
E会では最近「小さな喜び」を発見したか?という質問からスタート・・・共通していたのは、意識しないと日頃の小さな喜びに自覚がないと言うこと。
気がつくのは、危険なことや嫌なこと・・・twitterやfacebookでも「何々がなっていない!」「いやそのやり方自体に問題がある」「いやいや、その視点が気に食わない」などネガティブな発言のサイクルがくるくる回っているのを目にすることが多い。
メンバーの中でも、どうしてもネガティブな表現をすることが多くなっている・・・明日からは、ちっちゃな好い事を記述してみようという話も出た。皆さん、その後、いかがでしょうか?
そういう意味で、facebookに「いいね」ボタンだけあって「良くないね」というボタンがない設計の絶妙さ、その企てに感心することしきりである。
この「Awesome」という本がアメリカでベストセラーになったのも「いいね」をつないで行く重要さと、小さないいねを発見する難しさ、楽しさを、潜在的に多くの人が知っていることに起因しているのだろう。
会のディスカッションではそもそも「幸せ」ってなんだろう?という問題に行き着いた。特に、ちいさな、ささやかな幸せというものがあるのであれば、おおきな幸せってなによ?という根底から揺さぶりをかける意見が出てきたのは鮮明に記憶がある。
喜びが大きいのか?大きい出来事が成功したから幸せなのか?幸せとはエスカレーションするものである。すなわち一度獲得した幸せは一旦慣れてしまうと、幸せと感じることが難しくなる。より大きな幸せを求めてしまう。だから「足るを知る」という人生訓もよく語られるのではないか?
また、痛みとは違って幸せは記憶に残らない傾向にある・・・すなわち、生物として生命に対する危機管理能力の観点からは「痛い」「危ない」という記憶が危険を及ぼす対象を未然に回避する上で重要であり、翻って「好奇心」や「喜びの追求」は、刺激のエスカレーションによって減衰することを避けるため、記憶に残りにくくなっているのでは・・・生物学や心理学の専門家がいるわけではないのだけれど・・・そんな類推も提示された。
最後に、人生を素晴らしい体験にする3つのAについて、それぞれどの要素にコミットできるのか?もしくは、できないのか?という質問になった。「幸せ」の定義をちゃんとグリップできずに進める事にはなったが、ある種のファンクションについてなので、それぞれの意見、スタンスを明示してディスカッションが続いた。
Atitude(前向きな、未来を見据えた姿勢)は、ほぼ全員が同意。Awareness(気づく心)に対するスタンスはばらつきが大層あった。Authenticity(自分に忠実であること)は、本当に自分のしたいことってなんだ?っていう人から、AtitudeによってAwarenessもAuthenticityも結局は規定されるじゃんのような意見も出て、まぁ、かっこいい結論めいたもの(それはそもそも目的ではないけれど)を打出せる気配もなく、グダグダな状態でディスカッション終結。
特に、AtitudeとAuthenticityまでは確かに意思の力として有効な要素だと思うけれど。Awarenessってなによ?姿勢を持っていれば、必要なものは気が付くじゃん!・・・という意見と、何言ってんだAwarenessこそが大事ジャン!気づく力があるからこそ、未来に対する姿勢や自分のしたいことへの発見がもたらされるんだよ。小さいステップに意識が向けられるからこそ、イノベーションは起こるし、変化が世の中にもたらされるんだよ・・・いやいやそもそもイノベーションって改善だろ!創造じゃねぇんだよ・・・という意見の対立で取っ組み合いの喧嘩が起こった(わけはないが)。こうやって書いてみると言い方の角度の違いしかないような気もするが、ちょっと議論の活性化が起こり始めたころに時間となってしまった。
まだ、震災の生々しさが残っている時期の会であえて小さな幸せに関する議論と言うのも、タイムリーな面とむつかしい面の両方があったと今になって思う。
何かを実現したい、成し遂げたいという欲望と、それに基づく計画もしくは夢のようなものは人を突き動かすのであろうが、結局は瞬間瞬間の行動やふるまいの積み重ねが人生だ。その意味で小さな幸せや出来事に意識的になる、積極的な姿勢と、常に子供のような新鮮な目線と、自分が何をしたいのか?の正直であることは、基本的な行動原理として理にかなったものかもしれない。
アントレプレナーマインドとしても、この両輪のバランスとそれぞれのコントロールを深めて行くことが必要だと思う。何の為に生まれたか?は何の為に生まれたか?を考える為に与えられた時間である・・・と規定してもあながち間違えではないんだろう?・・・と書くと身も蓋もないような気がするので「好きに生きようぜ!」と言う言葉で締め直すことにする。

